沖縄の歴史を語る文化財を多く失った首里城の火災

今日は11月19日、東京は晴れ。気温は21度。

記事が遅くなりましたが、10月31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」全焼し、沖縄を語る多くの文化財が焼失しましたね。沖縄県にとっては大損失です。

首里城琉球王国時代の500年以上前に建てられました。本土では織豊政権時代ですね。

戦前に3回焼失しています。正殿は大正14年に国宝に指定されました。しかし、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失しました。

平成4年に正殿が復元され、平成12年には九州・沖縄サミットで各国首脳の夕食会の会場にもなりました。

これで見ると何度か火災に遭っている。火事とは関係が深い建築物のようですね。

火災の起きた31日は、毎年恒例の「首里城祭」が10月27日から始まり、11月3日までさまざまなイベントが行われことになっていた。「首里城祭」の真っ最中だったのですね。

火元とみられるのは「正殿」で、火災による熱が強くて消防隊が現場に近づけない間に火が風にあおられ燃え広がったそうです。風の怖さです。

首里城の防火体制はいかがだったのでしょうか。火元の「正殿」には、消防法に基づいて消火器や自動火災報知器、それに屋内と屋外に消火栓設備が設けられていました。このほか、火災を知らせたり避難を呼びかけたりする放送設備や誘導灯、防火用水も自主的に設置されていたそうです。かなり万全だったようですね。ただ火災が起きた際に、早い段階で自動的に消火するスプリンクラーは設置されていませんでした。

火災の起きた31日は、首里城では琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」の準備のため、31日の午前1時すぎまでイベント会社が「正殿」の前の「御庭(うなー)」と呼ばれるスペースで、照明などの機材を設営しいたそうです。そして午前1時半までにはスタッフは作業を終えて現場から撤収した。それからおよそ1時間後の午前2時34分、異常を検知するセンサーが「正殿」で作動したため、警備員が駆けつけた時には「正殿」には煙が充満していた。スプリンクラーのなるのがもう少し早ければ、小さな火災で済んだかもしれませんね。